2023

07/26

「ものごとの善悪」

自分の正しさの軸をどこに持つ?

自分の知らない世界や経験のないことを想定することは難しい。

でも思い測れないとコミニケーションはより難しいものになるな。

普通そうあるべきでしょ?の普通ってなんだろう。

普通を連呼されるとそう思いたくなる。

でもね、これに毎回屁理屈を言い出したらそれはそれでやっかいだ。

どこまで行っても、そんなわがままは自分だけの世界だったらいい。

あいにく、世界は誰かとの共存・共有。

人類と人類が初めて出会ったとき。

言葉も通じない。考えもわからない。

だったら強いものが勝つ。どっちが支配できるか。

力の強いものが弱いものを支配する世界。

だったのかもしれないけど、

戦争とか理不尽な支配を繰り返しで世界は学んだのであれば、

争わない選択肢を持つのであれば、

人類と人類が初めて出会ったとき、

言葉が通じなくても、考えがわからないとしても、

”自分達は無害だよ”と手をあげて歩み寄るのが良策なはずだろうに。

時代は学んだとしても、また同じことを繰り返す。

その核は、ささやかな日常のちょっとした食い違いにひそんでいて、

自分を理不尽に突き動かしてしまうその自我にふりまわされる。

その時僕らは、

それは当然と言い張るのか、

それはよくわからないと逃げ回るのか、

どっちもどっちなのかもしれないなー。

どうあれ、

目の前で起こっていることをどう受け入れるかは、

自分次第、ということだ。

物事には本来、善悪はない。

ただ自分達の考え方次第で善と悪が分かれる(シェイクスピア)

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